〔091〕大峰山 (1,915m)
2002年04月27日(当時52歳)
  深夜1時半に行者還トンネル西口の駐車場に着き仮眠する。
5時半に登り始める、先月に登った時は全面残雪で登り難かったが今回は当然雪はない。
しかし、寒さで眠れなかった為、睡眠不足で調子が悪い。 しゃくなげの開花にはまだ早過ぎた様でつぼみはまだ固い、登るにしたがいガスが濃くなり雨が降りそうになってくる。
急登を登りつめて1時間で奥駈道出合に出る、ここからしばらくは緩やかな尾根道になる。
前回、引き返した大きな木柱を確認して聖宝ノ宿跡を通り、胸突き八丁と言われる急登に差し掛かるが、
今はつづれ折れの道が出来ているので言うほどではないがしんどいのには変わりは無い。
  2時間半でりっぱな弥山小屋に出る。 これまでのガスがウソのようになくなりいい天気なった。
弥山(1、895m)の頂上は更に少し歩いたところにあった。
  弥山山頂から又、弥山小屋に引き返し、少し下る。 この一帯はオオワマレンゲの自生地らしいが、
これも花の時期にはまだ早い。 3時間で ”八経ヶ岳”(1,915m)の山頂に立つ。 北面は晴れ渡り見通しが良いが、南面はガスが立ち込めて何も見えない。 同じ道を引き返して下山する。 帰り道に沢山登ってくる人とすれ違う。 本格的な登山者や俺たちの様になめた格好の人やでまちまちであるが、しゃくなげ、
オオヤマレンゲの開花時期にはもっと沢山の人が訪れると思う。
5時半に登山口を出発。前回は積雪で状態が判らなかったが、
最初の登りは急登の為、雨に土が流され根っこがむき出しになっていた。
急登を1時間登ると ”奥駈道出合”に出る。
寝不足の為、先月の残雪期と同じだけ時間が掛かってしまった。
えらくガスが立ち込めてきた。
このままでは前回の二の前になりそうな感じ。
胸突き八丁を登りつめて2時間で ”弥山小屋”に着く。
発電機が動いていたので営業はしている様であった。
弥山”(1,895m)はピーク感が無く、平坦な山頂。
この奥には ”弥山神社”が建っていた。
”弥山”の周辺は立ち枯れが多く、殺伐とした風景が広がっていた。
”弥山”側から ”八経ヶ岳”を見る。 一旦、鞍部に下りて登り返す様だ。
”八経ヶ岳”側から ”弥山”を振り返り見る。
鞍部がなければ標高差はたった20mなので簡単に歩けるのに!
2時間30分にて近畿の最高峰 ”八経ヶ岳”(1,915m)に着く。
南面に展望が開けているが、今日は霞みが酷く絵にならない。
取り合えず、ピークハントとしてのリベンジは果たせた。

奈良県吉野郡天川村大字洞川


標高差:821m
Road Map :R169から林道に入り、行者還トンネル西口に至る。
Route Map:行者還トンネル西口の登山口から奥駈道出合、弁天ノ森を経由してピストンとする。
一般的に ”大峰山”と言えは ”山上ヶ岳”を指すらしく、深田久弥は大峰山系の最高峰”八経ヶ岳”を ”大峰山”とした様だ。 ”八経ヶ岳”にも上記の別名があるとはややこしい。
最高峰は八経ヶ岳
オオシマレンゲの群生地にはシカの食害から
守る為にに至る所に柵がしてある。 個人的には
白花は好きではないので、花を見たいとは思わなかった。
”オオシマレンゲ”
下山後、 ”大台ヶ原”に向かうがガスガスだった。先月、3月10日の ”大峰山敗退”にリンク。
前回、ここより少し先で引き返した ”弁天の森”を通過する。
”弥山小屋”の横には ”弥山”(1,895m)の山頂を示す
大きな表示があった。 表示板の後方が山頂となっていた。
”弥山”の実際のピークは ”弥山神社”建っているここかも知れない。
”弥山”の三角点は探さなかった。
”弥山”から正面に ”八経ヶ岳”を見ながら
鞍部に向けて大きく下って行く。
おおみねさん
深田久弥著の「日本百名山」から
  大峰山はわが国で最も古い歴史を持った山である。この山についての古記録は、枚挙にいとまがない。
(略)開山は役ノ小角と伝えられる。斉明朝元年(655年)、彼は二十二歳で大峰山の上で苦行したというから、これを登山記録と見れば日本最古であろう。
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日本百名山
関西百名山』  前回は林道通行止で時間を要し途中敗退したので、今回でリベンジを果たす。
2024年1月8日改定
登り3時間、下り2時間30分。